歴史を紐解く

もし“西国無双”立花宗茂が関ヶ原の戦いに間に合っていれば――歴史最強武将のifを追う

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1600年、日本史最大の天下分け目と言われた戦い

――それが関ヶ原の戦いです。

徳川家康率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍が激突し、

勝敗はわずか半日で決したとされます。

しかし、歴史好きの間でしばしば語られる“もしも”があります。

「立花宗茂が関ヶ原本戦に間に合っていたら、

歴史は変わったのではないか?」

今回は、戦国屈指の名将 立花宗茂 に焦点を当て、

この歴史ifを掘り下げます。

立花宗茂とはどんな人物なのでしょうか?

立花宗茂 は、九州の豪傑、立花道雪 の養子として育ち、

勇猛さ・知略・統率力を兼ね備えた武将でした。

豊臣政権下ではその武勇が高く評価され、

朝鮮出兵でも奮戦

• 島津勢との戦いでも実績多数

• 家臣団の結束も強い

• 敵将からも称賛される人格者

このことから、後世には 「西国無双」 とまで呼ばれます。

江戸幕府成立後、改易から大名復帰した数少ない人物であることからも、

その器量がわかります。

では宗茂はなぜ関ヶ原に間に合わなかったのか?

関ヶ原の合戦当時、宗茂は西軍側として九州にいました。

九州では 加藤清正 や 黒田如水 ら東軍勢力との駆け引きが続き、本州決戦へ即座に向かえる状況ではありませんでした。

そのため、日本の命運を決める本戦には参加できず、宗茂は主戦場不在のまま終戦を迎えます。

これが“歴史最大の惜しまれる不参加”とも言われる理由です。

もし宗茂が本戦にいたら何が変わったか

西軍の指揮系統が改善された可能性

関ヶ原西軍の弱点は、名将不足というより統一指揮の欠如でした。

• 石田三成 は政治家タイプ

• 現場で全軍を束ねる実戦派が不足

• 各大名の連携も弱い

ここに宗茂がいれば、前線指揮官として大きな存在感を発揮した可能性があります。

特に西軍先鋒や中央軍の機動戦で、東軍に混乱を与えたかもしれません。

小早川秀秋の裏切りを防げた?

小早川秀秋 の動向は勝敗を決定づけました。

もし宗茂のような戦闘に優れた攻撃型タイプの指揮官が西軍前線部隊にいれば、

合戦の当初で東軍を押し込んだ可能性があります。

松尾山から戦の趨勢を見ていた小早川秀秋は

西軍が優勢と見て西軍に味方する、

あるいは決めかねて動かなかったかもしれません。

秀秋が中立、あるいは西軍側のままであれば、戦況は長期戦になった可能性が高いでしょう。

家康本陣へ突撃していた可能性

徳川家康 は勝負師である一方、危険な位置に本陣を置くこともありました。

宗茂は機を見るに敏な武将です。

戦場の一瞬の綻びを突き、家康本陣を急襲する判断を下した可能性もあります。

戦国時代の合戦は、大将が崩れれば総崩れ。

家康本陣が揺らげば、東軍勝利は消えていたかもしれません。

それでも東軍優勢は揺るがないという見方もあります。

• 福島正則ら猛将が多数参加

• 兵力も東軍の方がより安定している

• 家康の政治工作が周到

• 毛利勢が動かなかった

つまり、宗茂一人で全て覆すのは困難だったという見方も当然あります。

ですが――

「負け方は確実に変わった」

これは多くの歴史ファンが同意するところでしょう。

もし西軍が勝っていたら日本はどうなったか

もし宗茂参戦で西軍勝利となれば、

• 徳川幕府は成立しない

• 豊臣政権が延命

• 大坂の陣も起きない

• 江戸時代260年は存在しない

つまり、日本史そのものが別物になっていた可能性があります。

いずれにしても

「西軍があれほどあっさり崩れた展開にはならなかった」

これはかなり現実味があります。

宗茂は、時代に一歩遅れて現れた名将でした。

そして関ヶ原は、彼の才能が最も必要とされた戦場だったのかもしれません。

もし立花宗茂が関ヶ原に参戦していたら――

• 西軍勝利

• 引き分け講和

• それでも東軍勝利

あなたなら、どの結末を想像しますか?

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