東ローマ帝国を滅亡寸前まで追い込んだ男 ササン朝最強の名将 シャフルバラーズとは?
シャフルバラーズ
「もし彼があと少し勝っていたら、世界史は変わっていた――」
7世紀初頭。
東ローマ帝国は、かつてない危機に陥っていた。
シリア陥落。
エルサレム陥落。
エジプト喪失。
帝国は崩壊寸前。
その中心にいたのが、ササン朝ペルシャの名将――
シャフルバラーズである。
日本ではほとんど知られていないが、彼は実質的に“東ローマ帝国をあと一歩まで追い詰めた男”だった。
「王の猪」と呼ばれた将軍
シャフルバラーズという名前は、
古代ペルシャ語で
「王国の猪(いのしし)」
を意味するとされる。
猪は、古代イラン世界で“猛進する戦士”の象徴だった。
つまり彼の名は、
「王のために敵陣へ突撃する最強の戦士」
という意味合いを持っていたのである。
そして実際、彼はその名にふさわしい戦果を叩き出した。
東ローマ帝国との“最後の大戦争”
当時、中東世界には二つの超大国が存在していた。
• ササン朝ペルシャ
• 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
両国は数百年にわたって争っていたが、
7世紀初頭、その戦争はついに“全面決戦”へ突入する。
ササン朝の王、
ホスロー2世
は大遠征を開始。
そして最前線を任されたのが、シャフルバラーズだった。
エルサレム陥落――世界震撼
614年。
シャフルバラーズ率いるペルシャ軍は、ついにエルサレムを攻略する。
エルサレム包囲戦 (614年)
この出来事は、キリスト教世界に巨大な衝撃を与えた。
さらにペルシャ軍は、
キリスト教の聖遺物とされた「真の十字架」を奪取。
東ローマ帝国の権威は地に落ちた。
当時の人々にとって、エルサレム陥落は現代で言えば、
「ローマが滅びた」
レベルの精神的ショックだったとも言われる。
エジプト征服――帝国の命綱を断つ
だが、シャフルバラーズの恐ろしさはここからだった。
彼はさらに軍を進め、
東ローマ帝国最大の穀倉地帯――エジプトへ侵攻する。
そしてついに征服。
これによって東ローマ帝国は、
食糧供給の大部分を失った。
つまりシャフルバラーズは、
「帝国の心臓」
「帝国の食料庫」
の両方を破壊したのである。
当時の東ローマ帝国は、ほぼ滅亡寸前だった。
コンスタンティノープル目前
さらにペルシャ軍は小アジアへ進撃。
首都コンスタンティノープルの対岸にまで迫った。
コンスタンティノープル
もしここで完全攻略に成功していれば、
東ローマ帝国は歴史から消えていた可能性が高い。
つまり、
• 十字軍
• 東ローマ文化
• ギリシャ正教世界
• 後のヨーロッパ史
その全てが変わっていたかもしれない。
なぜ勝てなかったのか?
だが、ここで東ローマ皇帝
ヘラクレイオス
が反撃に出る。
彼は大胆な機動戦を行い、
ペルシャ本土へ逆侵攻。
さらにササン朝内部では、
政治混乱と宮廷抗争が発生してしまう。
これによってシャフルバラーズは孤立。
最終的には王位争いにも巻き込まれ、
一時は王位につくものの、すぐに暗殺されてしまった。
あまりにも劇的な最期だった。
“勝者なき戦争”の果てに
この大戦争は、
東ローマ帝国にもササン朝にも致命傷を与えた。
そして、その直後――
アラビア半島から新勢力が現れる。
イスラム帝国である。
疲弊した両帝国は、
新興イスラム軍に対抗できなかった。
つまりシャフルバラーズが戦った戦争は、
「古代世界最後の超大国戦争」
だったとも言える。
なぜシャフルバラーズは知られていないのか?
不思議なことに、
彼は世界史レベルの戦果を挙げながら、日本ではほぼ無名である。
しかし、
• ローマ帝国を追い詰めた
• エルサレムを陥落させた
• エジプトを征服した
• 世界史を変えかけた
これほどの人物は、実際ほとんど存在しない。
もし彼があと少し勝っていたら――
世界の宗教地図も、ヨーロッパ史も、中東史も、全て変わっていたかもしれないのである。
参考文献
• ピーター・ブラウン『古代末期の世界』
• 井上浩一『ビザンツ帝国』
• 佐藤次高『イスラーム世界の興隆』
• James Howard-Johnston, Witnesses to a World Crisis
• Touraj Daryaee, Sasanian Persia
